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迫りくる日本破綻を「新しい時代の始まり」にするために ~坂本龍馬から160年後の「日本の洗濯」~

日本の破綻が着実に近づいてい

もともと、日銀による実質的な財政ファイナンスによってゆっくりとバブルが膨らんでいたところに、コロナ危機のための財政出動量的緩和の拡大によってタガが外れた状態だ。

加えて、最近増えているMMT論者が「反緊縮」「反財務省」をうたい文句にして、「打ち出の小槌」をもっと振れもっと振れと煽る。

政治家も「コロナだから仕方ないよね」「MMTによるとまだまだ大丈夫じゃん」「やっぱりバラまいたほうが選挙に勝てるし」とばかりに、与野党こぞってもっと金を使えの大合唱だ。

ついに、政府の骨太の方針からプライマリーバランス目標が削除され、安倍内閣が消費減税を検討し始めたという観測も流れ始めた。安倍首相としては、なんとか憲法改正にこぎつけるためにも、消費減税で勢いをつけて解散総選挙に打って出たいのだろう。

もう大きな流れは決まったように見える。もう「財政規律」や「プライマリーバランス黒字化」などは死語になり、もう引き返すことはできないだろう。

断言していい。日本人は遠くない将来なんらかの形で大きな代償を払うことになる。もっともあり得るのは円の信認失墜、高インフレだ。

 

だがこれは仕方のないことな

過去30年、一番大事な「稼ぐこと」をないがしろにし、少子化問題に真剣に向き合わず、増え続ける一方の社会保障費・医療費の抑制に取り組んでこなかったのだ。

  • 稼ぐ人の数が減り、一人当たりの稼ぎもほとんど増えない。
  • その一方で、他人の稼ぎで暮らす人が増え、一人当たりの使用額も増える(特に医療費)。
  • 政治家は「他人の稼ぎで暮らす人」の意に背けば当選できない(人数も多いし投票率も高い)ため本気で流れを変えようなどとは思わない。
  • そしてその傾向は今後も変わらず悪化の一途をたどる。

この構図は日本人が選択してきた結果なのだ。みずからの選択の結果を受け入れることは仕方のないことだ。「政治家が悪い」「政府が悪い」というのは言い訳であって、政治家や政府を選んでいるのは国民である我々だ。文句を言っても始まらない。

コロナ危機対応はきっかけに過ぎない。政治家にとっては言い訳に過ぎない。本質的な構造は全く変わっておらず、コロナがその時間軸をちょっと早めるに過ぎない。

 

歴史は繰り返す。

振り返ってみれば、これは日本の近代史で繰り返されてきた大きな流れの節目なのかもしれいない。単なる偶然かもしれないが、日本の近現代史は40年周期で「大変革」→「輝かしい繁栄」→「衰退」を繰り返している。

  • 1860年代、黒船来航に端を発した明治維新によって、日本は白人国家が覇権を握っていた世界で自力で独立を維持すべく、国を挙げて大変革を成し遂げる。
  • 1900年代、日清、日露戦争に勝利し、有色人種国家で唯一、欧米白人国家と肩を並べ、世界中の有色人種の希望の星となる。
  • 1940年代、大東亜戦争に敗れ、国土は焦土と化し、戦勝の白人国家から「悪の国家」というレッテルを張られながらも、経済復興に焦点を合わせてゼロからのスタートを切る。
  • 1980年代、奇跡の復興・経済成長を遂げ、経済規模で並み居る欧州国家を超え、米国に次ぐ世界第2位の経済大国に上り詰める。
  • そして2020年代、、、

振り返ってみれば、1860年代からの80年は帝国主義国家による覇権争いの時代だった。

そして1940年代からの80年は経済の覇権争いの時代だった。

それぞれの時代の中で日本は、序盤で大変革を成し遂げ、中盤で大きく輝く、終盤にじりじりと活力を失い破綻を迎えた(る)。

2020年代、日本は一度は経済的には破綻することは避けられないが、歴史から学ぶのであれば、それを新しい時代に世界をリードするための始まりの時にしなければならない。

まさに160年前に、坂本龍馬が「日本を今一度洗濯いたしたく候」と言ったのと同じ時代が来ようとしているのだ。

 

では、次の時代はどういう時代なのか?

迫りくる破綻に続く大変革は、何を成し遂げるためにやるべきなのか?

 

もちろん個人的意見は持っている。一言でいえば、国家の寄せ集めから世界を一つとするのだ。

地球温暖化問題は国家の寄せ集めではエゴがぶつかり完全には解決できないだろう。ドローン兵器の登場によりもはやどんな国家・団体でも人命を犠牲にせず安価に遠距離攻撃が可能になり、世界の警察が必要になるだろう。

テクノロジーの進化によりグローバル企業がますます力を持ち国家との軋轢が強まるだろう。既存の通貨システムも限界が見えてくるかもしれない。

 

上記は個人的意見に過ぎないためこれ以上の深堀りはここでは避けるが、大事なことは、来るべき変革の時代を今から予見し、そして不連続な大変革にする必要があるということだ。そのためには、既存のシステムを壊しゼロからの再出発とする必要があるのだ。

そもそも日本人は、既存の延長線上で進化することは大の得意でこれは日本人の素晴らしい点であるが、逆に、既存の延長線から大きく変化することは大の苦手だ。1860年代、1940年代の大変革も、外からの大きな力によって成し遂げたものだ。

よって今後訪れる危機は、中途半端なものではなく、既得権益者たちがグーの音も出ない程度に厳しいもののほうがいい。もちろん多くの国民に痛みを伴うが、日本人は間違いなくそこから立ち上がり、次の時代で世界をリードする存在になれるはずだ。

 

そんな輝く日本を自分が生きているうちに見てみたい。

40年後の2060年代、自分は立派な老人になっている、そんな輝く日本を誇りに思いながら人生を終えたい。それまでは死んでも死にきれない。

 

アトキンソン氏著「日本企業の勝算」が素晴らしい

デービッド・アトキンソン著「日本企業の勝算ー人材確保×生産性×企業成長」を読んだ。素晴らしい本だった。

 

前著の「日本人の勝算」もそうだったが、アトキンソン氏の分析を形容すると、

「データに基づいていて説得力がある」

「世界中の数多くの論文を引用していて視野が広い」

「日本を良くしたいという思いが伝わってくる」

一言でいうと、「深い」のだ。

 

まずアトキンソン氏の提言を政策レベルで集約すると2つになるだろう

  • 企業の規模拡大促進策補助金や税制など)(
  • 最低賃金の大胆かつ段階的引き上げ

「え、なぜ??」「どこがすごいの??」という声が聞こえてきそうだ。

ただ、日本がここ何十年も成長していない原因についての、アトキンソン氏の分析を理解できると、上記の提言がいかに的を得ているのかが分かってくる。

氏の分析によると、日本という病の本質は「生産性が向上しないこと」であるが、その根本的な原因は

  • 日本は規模の小さい企業が多すぎる。その大きな要因は中小企業政策。企業の成長を阻害する補助金や税制優遇などが多く、小規模企業で居続けるインセンティブになってしまっている。
  • 規模が小さく、経営の質が低く、成長する気がなく、生産性の低い企業に、多くの労働者が低賃金で「搾取」されている。つまり、「人材が無駄遣い」されている。その背景に「Monopsony」(雇用者が労働者に対して強い交渉力を持ち、割安で労働力を調達できる)という問題がある。

要するに、日本は何百万人もいる中小企業の社長に「甘すぎる」のだ。

年間800万円もの飲食の損金算入ができるためキャバクラ代にまで税制優遇が効いて、

時給1000円ぽっちで労働者を安く雇用して搾取しているくせに、「雇用してやっている」と上から目線で威張り散らす。

そんなぬるま湯につかった社長たちの中で、「企業を成長させて生産性を上げ、雇用者の給料を増やしたい」と思い果敢に挑戦する人が果たしてどのくらいいるのだろうか。全員とは言わないが、ぬるま湯につかり現状維持が心地よいという社長が多いのではないか。

そして、こういう社長たちが現状を維持をするために、日本人という優秀な労働者を生産性の低い会社に固定化させ、全体として日本がじり貧の道を歩もうとしているのだ。

 

この短い文章でアトキンソン氏の深い分析をすべて伝えるのは難しいと思うので、ぜひ本を買って読んでいただきたい。この本には、日本という病に対する重要な処方箋が書かれている。

 

日本経済低迷の理由は何か ~財政・金融政策のせいにしては活路は見いだせない~

最近、コロナ危機への政府の経済対策について、多くの記事やネット上でこのような意見を多く見かける。

  • 規模が小さい、遅い
  • 消費税率引き下げ、または税率0、または廃止すべき
  • 財源は国債発行でよい

1つめはいいとして、2つ目、3つ目はどうだろう。

消費税廃止を訴えるような人の論調はおおむねこんな感じだ。

  • 度重なる消費増税で需要が落ち込んだことが日本経済低迷の原因だ
  • 政府は緊縮財政はやめるべ
  • 通貨発行権があるのだから、国内で国債が消化され、インフレにならない限り、どんどんお金を吸って政府支出を増やすべき(要はMMTを実践すべき)
  • コロナ後に増税なんてとんでもない

(僕はMMTの議論には全く共感できないし、この点は改めて記事にしてみたい)

要は、このような人たちの頭の中では、財政・金融政策がすべてなのだ。

彼らの主張を僕なりにシンプルに図式にしてみると、

需要が足りないのがデフレの原因

→需要を増やすために政府支出を増やすべき(財政政策)

→インフレになってないのだからどんどんお金を刷って財源にすればいい(金融政策)

 

本当にそうだろうか。

下表は一人当たりGDPのランキングだ。改めてみてみると、「Japan as No1」などと浮かれていた30年前が嘘のような状況だ。10位の国の3分の2しかない。

ではその間、日本より一人当たりGDPが大きい国はどうやって成長したのか?財政金融政策がうまくいったから成長したのか?そうではない。

欧州の小国やシンガポールは独自の戦略で人や金が仕組みを作り競争力を高めた。大国の米国も貿易赤字ながらもイノベーションを武器に成長した。中東ではオイルマネーで潤う国もある。

それぞれの理由はここではどうでもよいが、要は「財政金融政策」で成長をしている国はないのだ。

一人当たりGDP 2018年ランキング USドル
1位   ルクセンブルク        115,536
2位   スイス          83,162
3位   マカオ          81,728
4位   ノルウェー          81,550
5位   アイルランド          78,335
6位   アイスランド          74,515
7位   カタール          70,379
8位   シンガポール          64,579
9位   アメリ          62,869
10位   デンマーク          60,897
26位   日本          39,304

 

では日本の低迷の理由は何か。

最大の根本的な要因は「少子高齢化である。言い古されすぎてもはやぴんと来ないかもしれないが、ゆっくりと確実に進むこの問題こそ、日本という病の中核だ。この問題を中心に据えた対策以外は意味がない。

多くの問題が、その根っこに少子高齢化の問題がある。

 

そのほかにも理由はある。その中でも僕が大事だと思っているのは以下の3点。

  • 生産性の低迷:デービッドアトキンソンさんの「日本人の勝算」という本でで衝撃を受けた内容。アトキンソンさんは「規模の小さい(生産性の低い)中小企業に多くの労働者が雇用されていることが問題の本質」、「中小企業は成長を目指して規模を大きくし、時には統廃合をもしないといけない」、「時給1000円ぽっち払えない企業は退場すべき」とも言っている。まさにその通りと思う。
  • 新陳代謝の低さ:(上と通ずるが)「変わること」への抵抗が大きいために退場すべき企業が生き続ける一方で、新しいことに挑戦する風土の低さや失敗に対するペナルティの大きさなどによって新しい企業が育ちにくい。
  • 国際競争力の低迷:高度成長期の自動車産業のような大量小生産モデルだけでは戦っていけない。モノづくりの品質、エンターテインメント、食事のうまさ、おもてなしの文化、など、世界に誇るべきものが数多くあるのに、それを武器にして世界を舞台に戦う企業が少ない。ガラパゴス化と揶揄されるように、日本でうまくいったものが世界では通用しない現象まで起きる。

 

日本経済を立て直すにはどうしたらいいのか?

財政金融政策はドーピングのようなものだ。いずれ限界が来て、むしろ副作用が生じる。

やるべきは、地道に正しく食事をとり、トレーニングに励むことではなかろうか。

少子高齢化対策は効果が表れるのに何十年もかかるが、正しい食事をとるのと同じように、20年後、30年後への投資として地道に取り組んでいく必要がある。

筋肉質な体を作り、「生産性の向上」「新陳代謝の活発化」「国際競争力の向上」に向けて、地道にトレーニングに励んでいく必要がある。

これこそが、日本経済を立て直す王道の処方箋だ。

 

 

 

 

 

 

コロナ危機後の世界(ハラリ氏のFinancial Times記事邦訳)

先日ふとFinancial Timesで、「サピエンス全史」の著者のユバル・ノア・ハラリ氏の記事を見かけ、つい読みふけってしまった。とにかく「深い」のだ。

ハラリ氏は言う。

今の危機は、我々に特に2つの重要な選択を突きつけている。一つ目は、全体主義的な監視社会かそれとも市民が力を持つのか、という選択であり、二つ目は、国家主義的な孤立かそれとも世界の協調か、という選択である。

そして我々に問いかける。

コロナウイルスの感染拡大では市民という存在の在り方が問われているのである。この先の日々において、我々一人ひとりが、根拠のない陰謀理論や自分のことしか考えない政治家ではなく、科学に基づいたデータや医療の専門家を信頼するという選択を行うことが重要である。もし今我々がこの正しい選択をできなければ、最も貴重なはずの自由という権利を、健康を守るためには唯一の道だと言って手放すことになってしまうかもしれない。

今、人類は選択を迫られている。分断という道を選ぶのか、世界の協調の道を選ぶのかだ。もし分断の道を選ぶのであれば、今の危機を長引かせるだけでなく、将来により恐ろしい悲劇が待っているだろう。もし世界の協調の道を選ぶのであれば、それは今のコロナウイルスとの戦いへの勝利だけでなく、21世紀に人類を襲うすべての感染症や危機への勝利を意味するのではないだろうか。

 

これをきっかけに、このブログを作ってみたはいいけどしばらく放置していた怠慢な自分に鞭を打ち、この全文を翻訳してみたくなった。プロの翻訳家ではないが読みやすく訳してみたつもりである。ぜひ多くの人に読んでもらえると嬉しい。

 

【原文】

https://www.ft.com/content/19d90308-6858-11ea-a3c9-1fe6fedcca75

 

【以下全文の翻訳】

 

ユバル・ノア・ハラリ:コロナウイルス後の世界

~嵐はいずれ去る。そして、今我々がどのような選択をするかが、この後の世界を決める~

2020年3月20日

 

人類は今世界的な危機に面している。おそらく我々世代で最大の危機である。世界の人々や各国政府がこの数週間で何を決めるかによって、この先の世界の姿が決まってくるであろう。それは医療分野にとどまらず、経済、政治、文化のあらゆる分野に及ぶであろう。我々は急ぎつつも強い意志をもって決めなければならない。同時に我々の今の行動が長期的にどのような影響を及ぼすのかについても想いを馳せる必要がある。今選択を行う際には、短期的な脅威にどのように打ち勝つかという視点だけでなく、この嵐の後がどのような世界になるのかということにも考えなければならない。

そう、嵐は必ず去り、人類は生き残り、我々のほとんどは生存し続けるのだ。ただその世界は今とは違ったものになるということだ。

短期的な緊急策の多くはその後のも生活の一部になるだろう。危機とはそういうものであり、危機は歴史のプロセスを早送りで実行する。平時には何年も議論にかかるような意思決定も、危機時にはあっという間に決定される。そして、まだ未成熟で危険ですらあるテクノロジーでさえ、何もしないことのリスクが高いという理由で実際に使用され、国全体が大規模な社会実験の実験台になるのだ。もし全員が在宅勤務で遠隔でコミュニケーションをしたらどうなる?もしすべての学校や大学がオンライン授業になったらどうなる?平時であれば企業や学校の意思決定者はこのような実験に賛成はしないだろう。だが今は平時ではないのだ。

今の危機は、我々に特に2つの重要な選択を突きつけている。一つ目は、全体主義的な監視社会かそれとも市民が力を持つのか、という選択であり、二つ目は、国家主義的な孤立かそれとも世界の協調か、という選択である。

 

「肌の下」の監視

感染拡大防止のためには、国民全体が一定の行動ガイドラインに従う必要がある。これを達成するには大きく2つのやり方がある。一つは、国が国民を監視しルールを破った人を罰するというやり方。今日では、人類史上初めて、テクノロジーによってすべての人をモニターすることが可能になっている50年前、KGBは2.4億人のソ連の人々を24時間追跡することはできなかったし、すべての情報を効率的に処理することなど望むすらできなかった。KGBは人力と人による分析に頼っていたため、単純にすべての人々を追跡するための頭数が足らなかったということである。しかし現代の政府は、生きるスパイではなく至る所にあるセンサーと強力なアルゴリズムを活用できるのである。

コロナウイルスとの戦いにおいても、いくつかの国の政府は新しい監視ツールを導入している。最も有名な例は中国である。中国政府は、人々のスマートホンを逐一モニターし、何百万台もの顔認証カメラを駆使し、人々に対して体温や体調を報告する義務を課すことで、感染の疑いのある人を特定するだけでなく、彼らの移動を把握して接触した相手を特定することができる。さらに、感染した患者との距離を算出して警告を発するようなアプリも多く存在する。

この種のテクノロジーは東アジアに限ったことではない。イスラエルのネタニヤフ首相は最近イスラエル公安庁に対し、通常はテロ対策に限っている監視テクノロジーコロナウイルス患者の追跡に活用することを許可した。国会の関連委員会がこの対策の承認を拒否しようとしたが、ネタニヤフ首相は緊急事態にあたるとして強硬通過させた。

取り立てて新しいことはないのではないか、と思われる方もいるかもしれない。近年、政府も企業も人々を追跡し、モニターし、操る試みを進めてきたのだから。しかし、それでも気を付けなければいけないのは、今回の感染拡大が監視社会の歴史において重要な分岐点になり得るということである。そこで考えなければいけないのは、大規模な監視ツールの導入の常態化ということに加えて、より重要な視点として、「肌の上」の監視から「肌の下」の監視へと大きく変容してしまうという点である。

これまでは、スマートホンのスクリーンを指で触ってリンクをクリックしたときに、政府が知りたいのは何をクリックしたのか、だった。しかしコロナウイルスの登場によって政府の興味はシフトしたのだ。現在の政府の興味は指からわかる体温と「肌の下」の血圧なのである。

 

危機時の対応に潜む危うさ

監視社会を考えるときに直面する問題の一つに、我々はどのように監視されているのか、そして今後それがどうなっていくのかを誰も理解していないということがある。監視のテクノロジーは猛烈な勢いで進化しており、10年前にはサイエンスフィクションと思われていたものが現在では過去のニュースになるということが起こる。ここで頭の体操として、とある政府がすべての国民に生体測定ブレスレットの使用を義務付け、体温と心拍数を24時間モニターするという状況を考えてみよう。その結果はその政府が蓄積し政府のアルゴリズムによって分析される。そのアルゴリズムはその人が病気になったことを本人より前に知ることができ、さらにその人がどこに行ったのか、誰と会ったのかを知ることができる。そして感染の連鎖を大幅に減らし、あるいは完全に絶つことができる。このようなシステムがあればおそらく感染経路をたどり数日のうちに感染をなくすことができるだろう。素晴らしいと思いませんか?

言うまでもなく、ここでの問題点は、このような恐ろしいシステムに正当性があるかという点である。例えば、ある人がCNNでなくFOXのニュースのリンクをクリックするとことによって、その人の政治的志向や性格について何らかの情報を得ることができる、というような話はよく聞く。しかし、もしその人があるビデオクリップを見たときの体温、血圧、心拍数などをモニターできれば、その人が何に笑い、何に泣き、何に激怒するのか、などを知ることができるのである。

怒り、喜び、退屈、愛といった生物学的な現象は、発熱や咳と似たようなものだということを認識しておく必要がある。咳を感知するのと同じテクノロジーで笑いも感知できるのである。もし企業や政府が一斉に生体データを収集し始めれば、本人よりもはるかに我々のことを知ることができ、我々の感情を予測するのみならず感情を操ることが可能となり、売りたいもの(それが商品であろうと政治家であろうと)を売ることができようになるであろう。生体データのモニタリングは、ケンブリッジ・アナリティカ(訳注:英国に存在したデータマイニングとデータ分析を手法とする選挙コンサルティング会社)を石器時代のものとしてしまうだろう。さてここで、あなたが2030年の北朝鮮にいて、そこではすべての人が24時間生体測定のブレスレットを着用させられていると想像してみよう。そしてあなたは将軍様の演説を聞いていて、そのブレスレットがあなたの怒りの感情を検知して密告のシグナルを送ったとしよう。あなたは終わりだ。

もちろん、生体データの監視を現在の非常事態に限った一時的な対応とすることもできる。危機が去れば監視も終わらせるという考え方である。しかし、一時的な対応というものは非常事態そのものより長く続くという厄介な特性がある。特に将来に同じような危機があるかもしれないと思えばなおさらである。例えば私の祖国イスラエルは1948年の独立戦争で非常事態宣言を発令し、これによって報道の検閲や土地の没収から、プディング作りに関する特別な規制(冗談ではない)に至るまでの一時的な対応を正当化した。イスラエル独立戦争そのものには勝利したが、非常事態宣言の解除を行っておらず1948年の「一時的」な対応を廃止することができていない。(危機時のプディングの規制はうれしいことに2011年に廃止された)

もしコロナウイルスの感染がゼロになったとしても、データの収集に貪欲な政府の中には、コロナウイルスの第二波が来るかもしれないから、または新しいエボラ熱の病原体が中央アフリカで発生するかもしれないから、あるいは誰でも思い付きそうな他の理由をつけることで、生体データの監視を続ける必要があると主張するかもしれない。近年、個人のプライバシーについて大きな論争が起こっていたが、コロナウイルスによる危機がこの大論争の転換点になり得る。人々はプライバシーか健康かという選択を迫られたとき、多くは健康を選ぶのだ。

 

ソープ・ポリス(訳注:後段に登場する手洗いの事例から)

実は、人々にプライバシーと健康の選択を迫るということ自体が問題の根源そのものである。なぜなら、二者択一ということ自体が誤りであり、我々はプライバシーも健康もどちらも守ることができるし、またそうでなければならない。健康を守りながら、全体主義的な監視社会の導入によってではなく、市民が力を持つことによってコロナウイルスの感染を止めるという選択ができるはずである。ここ数週間でコロナウイルスの封じ込めに最も成功しているのは韓国、台湾、シンガポールであるが、これらの国は人々の追跡機能をある程度活用しながら、一方で積極的な検査、偽りのない報告、そして正しい情報を持った市民の協力によって成功を収めている。

中央集権的な監視と厳しい罰則だけが人々を正しい行動様式に従わせる方法ではない。人々は科学的な事実を知らされ、これを伝える公的権力を信頼していれば、誰かが監視をするまでもなく正しい行動をすることができるはずである。自らの意思と正しい情報をもった民衆は、強制された無知の民衆よりもはるかに強力である。例えば石鹸での手洗いという事例を考えてみよう。これは人類の衛生面に大きな進歩をもたらしてきた。実際にこのシンプルな行動が毎年多くの人の命を救っている。現代では常識と考えられているが、科学者が石鹸による手洗いの重要さを発見したのはつい19世紀になってからのことである。それ以前は医者や看護師でさえ外科的手術から次の手術の合間に手洗いをしなかったのである。今日何十億人という人が手を洗うが、それはソープ・ポリスを恐れてのことではなく、みんなが事実を知っているからである。我々が手を洗うのは、ウイルスやバクテリアのことを知っていて、これらの微小な細胞が病気を引き起こすことを理解していて、石鹸でこれらの細胞を除去できることを知っているからである。

一方で、高いレベルの協調と協力を得るためには信頼が不可欠である。人々が科学を信頼し、公権力を信頼し、メディアを信頼していることが必要である。過去数年、無責任な政治家たちが意図的に科学への信頼と、公権力への信頼、メディアへの信頼を傷つけてきた。今ではこの無責任な政治家は、民衆など信頼できないと言って、全体主義という彼にとって正しい道に進む誘惑にかられているのかもしれない。

平時では、何年もかかって傷ついた信頼は一夜で回復することはできない。しかし今は平時ではない。危機に際しては人々の意識も一瞬で変わり得る。もしあなたが兄弟と長年仲たがいしていたとしても、危機に際しては実は信頼があって心配をしていたことに気づき、お互いに助け合いを始めるものだ。つまり、監視社会を築くのではなく、今からでも科学への信頼、公権力への信頼、メディアへの信頼を取り戻すことは可能なのだ。テクノロジーを活用することが必要なことは言うまでもないが、そのテクノロジーは市民が力を持つために使われるべきである。私は体温や血圧をモニターすることは賛成だが、そのデータは全能の政府を作り出すことに使われるべきではない。むしろ、各個人が正しい情報に基づく判断を行えるようにすることと、政府がその判断の説明責任を果たすために用いられるべきである。

もし自分の体調を24時間モニターすることができれば、自分が他人の健康に害を与える可能性があるのかを知るだけでなく、どのような習慣が自身の健康に影響があるのかも知ることができるだろう。さらに、もしコロナウイルスの拡大状況について信頼できる数値にアクセスできれば、政府が正しいことを言っているのか、政府が正しい対応をしているのかを自分自身で判断できるだろう。監視につい考えるときには、同じテクノロジーが政府が国民を監視することにも使えるし、逆に国民が政府を監視することにも使えるということを理解しておきたい。

こう考えると、コロナウイルスの感染拡大では市民という存在の在り方が問われているのである。この先の日々において、我々一人ひとりが、根拠のない陰謀理論や自分のことしか考えない政治家ではなく、科学に基づいたデータや医療の専門家を信頼するという選択を行うことが重要である。もし今我々がこの正しい選択をできなければ、最も貴重なはずの自由という権利を、健康を守るためには唯一の道だと言って手放すことになってしまうかもしれない。

 

世界的な視点の行動計画が必要

2つ目の重要な選択は、国家主義的な孤立かそれとも世界の協調か、である。感染拡大の問題も、それに続く経済危機の問題も、いずれもグローバルな課題であり、世界の協調なくして有効な解決はあり得ない。

まず重要なのは、ウイルスとの戦いにおいては世界で情報を共有する必要があるということである。これはウイルスにはできない人類のアドバンテージである。中国にいるウイルスと米国にいるウイルスが人間への感染の仕方のコツを情報交換などできない。しかし、中国は米国にコロナウイルスについての貴重な教訓や対処の仕方を教えることができるのである。イタリアの医師がミラノで早朝に発見したことを共有することで、夕方にはテヘランの人の命を救うことができるかもしれないのである。もし英国の政府が政策の選択で迷ったときは、すでにひと月前に同じ悩みを持っていた韓国からアドバイスをもらうことができるのである。しかし、このようなことを実行するには、世界の協調の精神と相互の信頼が欠かせない。

世界の国々はオープンに情報を共有しつつ、謙虚にアドバイスを求めるべきであり、また受け取った情報や知見を信頼できるべきである。さらに、検査キットや呼吸器などの医療器具の製造や分配は世界的な協調によって行うべきである。各国がばらばらに独自に行おうとしたり、器具を備蓄しようとするのではなく、世界一体的な努力を行うことで、器具の生産を増やしより公平に分配することができる。戦時に国家が重要な産業を国有化するのと同様に、コロナウイルスとの戦いではカギとなる生産ラインを「人類共有のもの」とする必要があるのだろう。感染が抑えられている富める国は感染が広がる貧しい国に貴重な器具を積極的に提供すべきであり、その際にはもし提供した側の国が後に助けが必要な状況になったら、他の国が支援をしてくれるという信頼が欠かせない。

世界の医療人材のプールという視点でも同様にグローバルな協力体制を考えられる。現在感染が少ない国が大規模感染が起こっている国や地域に医療スタッフを派遣することで、支援が必要な時に必要な支援を行うとともに、貴重な経験を得ることもできる。もし後になって感染拡大の中心地が変わっていったときには、逆向きの支援を行うことができるだろう。

世界の協調は経済面でも非常に重要である。世界の経済やサプライチェーンは一体化しているため、もし各国が他の国のことを無視して自国のことだけを考えた行動をとれば、世界は混沌とし危機を深める結果になるだろう。我々には世界的な視点の行動計画が必要であり、そしてそれは急ぐ必要がある。もう一つ重要なのは、海外渡航に関する国際的な合意を作る必要があるという点である。何か月にもわたる海外渡航の禁止は甚大な影響を及ぶすが、コロナウイルスとの戦いにも悪影響を及ぼす。科学者、医師、ジャーナリスト、政治家、ビジネスマンといった重要な役割を持つ人たちに対しては、国際的に協調して一定数の渡航を認める必要がある。丁寧に検査を受けた人だけが渡航するのであれば、受け入れる側の国も入国許可を出しやすくなるだろう。

しかし残念ながら、現在の世界ではこのようなことはほとんど起こっていない。集団麻痺ともいうべき状況が国際社会を覆っている。そこには大人な存在は誰一人いないかのようである。世界のリーダーたちによって共通の行動計画を立てるための緊急会議が開かれるべきだと、何週間も前に思った人もいるかもしれないが、実際にG7の首脳会議がビデオで開かれたのは今週になってからであり、そこでは共通の行動計画のようなものは決められなかった。

直近の世界的な危機、つまり2008年の金融危機や2014年のエボラ熱感染拡大の時には、米国が世界のリーダーとしての役割を果たしていた。しかし今の米国の政権はリーダーの役割は放棄している。それどころか人類の未来よりもアメリカの栄光が何よりも大事だと公言してはばからない。

この米国政府は最も近い同盟国ですら見捨てたのである。EUからの入国を禁止した際に、事前通知すらなかったし、ましてやその強力な手段について事前に協議することなどなかったのである。さらに、ドイツの製薬会社に10億ドルでコロナウイルスの新ワクチンの独占権取得をオファーしたと報じられ、ドイツを激怒させたりもした。もし仮に現政権が最終的には軌道修正してグローバルな行動計画を策定したとしても、一切責任を取ったことがなく、ミスを認めず、常に非難は他人のせいにして成果は自分のものとするようなリーダーに、いったい誰がついていくだろうか。

アメリカの責任放棄による空白を他の国が埋められなかった場合、今の感染拡大を止めるがより難しくなるだけでなく、今後何年にもわたり負の遺産が国際関係に残り続けるだろう。いや、危機というのは同時にチャンスでもあるのだ。今の感染拡大は、世界の分断は本当に危険なのだということに人類が気づく機会を与えてくれているのだと願わずにはいられない。

今、人類は選択を迫られている。分断という道を選ぶのか、世界の協調の道を選ぶのかだ。もし分断の道を選ぶのであれば、今の危機を長引かせるだけでなく、将来により恐ろしい悲劇が待っているだろう。もし世界の協調の道を選ぶのであれば、それは今のコロナウイルスとの戦いへの勝利だけでなく、21世紀に人類を襲うすべての感染症や危機への勝利を意味するのではないだろうか。

日本は素晴らしくないですか? だからもっとできることがあると思いませんか?

本題に入る前にまずは僕の生い立ちから、、

 

僕が生まれ育ったのは田舎の農家、両親は熱心な共産党員で、父親は僕が中学生ぐらいの頃から市議会議員をやっていた。

そんな環境で育った僕の当時の考え方は、もちろん共産党的だった。なんと一時期、民青という共産党の下部組織みたいな所に顔を出していたこともあったぐらいだ。

  • 日本は侵略戦争をした悪い国なんだから謝らないといけないし、日本を好きになるなんてとんでもない。
  • 天皇は戦争を起こした悪い人、だから天皇制もいらない。
  • 今の憲法は素晴らしい、憲法も9条も守らなくちゃいけない。
  • 日の丸、君が代侵略戦争の象徴だから大嫌い。

 

大学進学とともに東京に出て、その後就職し、家族を持ち、と普通の生活を送っていくうちに、自分の昔の考えっておかしくない??と思うようになった。

 

そして、海外に住むようになり、日本のことをもっと知って、もっと好きになってくると、多くの視点で真逆の考えを持つようになった。

  • 大東亜戦争は侵略目的なんかではなく、白人による帝国主義植民地主義から、有色人種でも独立自尊を守るんだという、ギリギリの戦いだった。
  • 戦争をしたかったのはむしろアメリカで、日本はその罠にまんまとはまって、自滅的な戦争に突入してしまった。
  • 我々日本人は、戦勝国アメリカに都合のいい歴史観を押し付けられて、GHQが去った後もなぜかそれが増殖している。だから多くの日本人は「侵略戦争だった」と当たり前のように思っている。
  • 2000年にもわたる万世一系天皇がいるという国は、世界で日本だけ。日本は世界に類を見ない長い歴史と独自の文化を持つ誇るべき国。
  • 君が代も日の丸も、「日本」という国の名前そのもののも、その長い歴史に裏打ちされた誇るべきもの。そもそも日の丸のデザインてシンプルなんだけど強い個性があって、なにより格好いい。

 

なぜこんなに考えが変わったのかを考えると、育つ環境とか教育の大切さがよくわかってくる。僕は海外で生活するというきっかけもあって、多くのことを学ぶことができ、この考えにたどり着けのはラッキーだったのかもしれない。

海外に暮らしていると、日本の良さを感じる機会が多い。挙げればきりがないけど、日本のいいところを書き出してみたい。日本に住んでるとそのありがたさに気づかないことも多いと思うので。

  • まずはなによりこれ、飯がうまい。日本食ももちろんうまいけど、いろんな食文化を取り入れて進化させて独自のものにしている。そして、今でも日々進化してるのがすごい。ミシュランの星の数が本場フランスより日本の方が多いって知ってました?
  • 電車が時刻表通りにやってくる。これって本当にすごいこと。やりすぎとも思えるけど。。
  • 街が清潔で建物も綺麗、治安も最高。こんな国相当少ないです。欧米系にはまずないと思っていい。
  • 世界最古の歴史をもつ国で、見るべき場所や歴史建造物なんかがいっぱいある。こっちの人に聞くと、だいたい京都なんかは知っている。
  • 最後にこれ、人がすごくやさしい。震災後の日本人が見せた、他人を思いやる心、何時間待つことになっても文句も言わず整然としていられる高い精神性、なんかは海外でもよく報道されたみたいです。同じ東アジアでもどこかのお隣の国とはだいぶ違いますね。

 

そんな大好きな日本だけど、最近元気がない。

  • 少子高齢化、人口減少。まさに国難と思うのだけど、改善の兆しがみえない。
  • 経済成長できない。働く人が減ってるんだから、当たり前といえば当たり前だけど、一人当たりの稼ぎ(生産性)も上がらない。
  • 政府の借金が増え続ける。もはや財政再建という言葉を使うと「財務省かっ!」というツッコミすらもらいそうな空気。本当に危ない。(財政赤字は問題ないんだっていうMMTっていう議論とか、国の借金は増えてないしむしろ債権国で国民から借りてるだけだから大丈夫だとか、特に頭のいい人たちはもっともらしいことをいう人が多いけど、僕はこういう人たちのことを信じない。バブル崩壊前にバブルは大丈夫だと言っていた人たちと同じですよ。とかいうのはまたどこかの機会で詳しく書いてみたい)

そして僕は、これらが絡み合って、

そう遠くない将来に日本経済の破綻(国債バブルの崩壊)が起こる

と思っている。むしろ、

変われない日本が変わるためには、こういう大ショックが必要

だとも思っている。そしてこれは、近現代史の中でいうと、

明治維新による国の形の大変革、②敗戦による荒廃と復興、に次ぐ、第3の大変革期になる

と思っている。だからこそ、今考えなければいけないのは、

経済破綻をきっかけに大改革を行なって、次の時代に日本が輝くためにはどうしたらいいかを、今から一生懸命考えておくこと

だと思っている。

 

経済破綻が起こらないようにすることを考えた方がいいんじゃない?と多くの人は考えると思うけど、僕はそうは思わない。

  •  そもそも今の社会のままでは、止められない。政治もマスコミも、残念ながら票と視聴率ばかり気にするので、それに逆行することは今の日本ではなかなか行われない(この辺もいつか詳しく書いてみたい。)
  • 歴史を振り返ると、残念ながら、日本が変わるためには大きなショックが必要。これは残念ながら歴史の教訓。日本民族というとても優れた民族は、進化は得意(飯がうまいというのもそうだし、トヨタカイゼンなんかもそう)だけど、一方で変革とか創造的破壊とかパラダイムシフトとか、それまでのやり方や価値観を捨てることだけはとても苦手みたいだ。だから、大きなショックがあって、いったん全ての過去を清算して、一から考え直すというようなことがないと、変われない。

 

だから僕は、次の時代の日本がどうするべきかを真剣に考えたい。

その際には、日本だけのことを考えても仕方がない。世界の中の日本、という視点で考えないといけない。

 

では世界はというと、今新しい方向へ向かいつつある。

大きな流れでいうと、グローバルな課題が増えてるのに、みんな自分のことばっかり考える流れに逆戻りしつつある感じ。

(課題)

  • 気候変動による温暖化、自然災害の頻発。
  • 核兵器の拡散へ方向への逆戻りと、ドローン兵器(次の主役だと思ってます)によるボーダレスな脅威の拡大。
  • テクノロジーで情報や金が瞬時に国境を越える。デジタル通貨によって、国家単位で通貨を管理する時代が終わるかも。

(その一方で)

  • 国際秩序から分断への逆戻り。ナショナリストの台頭。トランプしかり、ブレグジットしかり。みんな、自分のことばっかり考える人たち。
  • 中国(本当はシナと書きたいところだがここでは中国としておきましょう)という、中華思想という危険な思想をもった新しい大国の台頭。

 

こういう中で、日本には日本だからこそできることが絶対にある。そう信じたい。

  • かつて、世界を席巻していた白人による植民地支配に対して、有色人種で唯一果敢に立ち向かい、日露戦争で世界をあっと言わせて世界中の有色人種の希望となった日本。
  • 第一次世界対戦後のパリ講和条約で世界で初めて「人種差別撤廃」という正義を訴え、白人諸国から恨みを買うことになった日本。
  • 敗戦から数十年で世界が驚く経済発展を遂げ、世界第2位の経済大国となった日本。
  • そして令和の今、その歴史や国民性を高く評価され、世界の多くの人から好意を持たれる日本。

 

そう、そんな日本だからこそ、世界の発展や平和に貢献し、世界をリードしていくことができるのではないか。まさに、今上天皇のお言葉そのものである。

 

経済破綻は避けられないとしても、日本はそれを乗り越え、次の時代を作っていくパワーを持っていると信じたい。そして僕はそのために微力だけどいろんな角度から貢献していきたい。そんな素敵な未来を、子供達に伝えるために。

 

 ではでは。

 

ブログ始めます

始めまして。おでです。ブログ始めます。

 

今年から海外に住み始め、日本について、世界について、いろいろ考えるようになりました。

 

日本は今後どうなる?どうすべきなのか?子供たちの未来は? そして世界は?

 

そんなことに思いをはせながら、たくさんの本を読み、たくさんの動画を見てます。

 

このブログでは、そんな自分の想い、分析、批評などを、不定期ですがアップしていきたいと思います。

 

まずは挨拶まで。よろしくお願いします。